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No.17「フリーランス生活が叶えてくれた犬との生活」

フリーランス生活が叶えてくれた犬との生活

さくらめがね

いつかは自宅で犬をゆっくり飼うためにフリーランスになった。それが私。

 

会社勤めをやめてフリーランス翻訳者としての生活をスタートしてから今日まで、かれこれ四半世紀になる。翻訳の仕事は、独立前の正社員時代とその後の派遣社員時代から続けてきた。開業してからの四半世紀の間に、必要な言語や専門分野の辞書や辞典の形態は、分厚い紙の本からCDへ、CDからDVDへ、さらに一部はオンライン版へと変わった。パソコンの性能もどんどん改良され、かつてはなかった翻訳支援ツールの誕生も仕事のあり方を大きく変えてきた。

 

それでも、翻訳者としての生活は基本的には大して変わらない。机の前に座る。パソコンの電源を入れる。カタカタとキーボードを叩く。少し休憩。また、カタカタ。家事や雑用。休憩。たまの外出。そしてまた、カタカタ。

 

夫以外の誰とも話したくない気分の時は、一日中話さずにもいられる。夏はTシャツに短パン姿。冬はモコモコのルームウエアにカーディガンや袖なしベストを羽織っている。カタカタ仕事に疲れたら家のどこで大の字になってもいいし、なんらそのまま仮眠を取ってもいい。

 

これらは在宅フリーランスになってよかったこと。でも、もっと、よかった、いや、はるかに幸せを感じられた出来事がある。

 

それが、最初に書いたこと。「犬と暮らす」ということだ。

 

夫と相談して我が家に迎え入れた犬は、雑種の女の子。愛護センターに収容されていたところを引き出され、保護ボランティアさん経由でやってきた、茶色の、ものすごい美犬さん。毛がふわふわっと柔らかくて優しい目の中型犬。

 

犬が家の中をフリーで動けるようにして、仕事部屋や居間にもそれぞれワンコ用ベッドを置いた。寝たければ床でも廊下でも階段でもお好きにどうぞとしておいた。洗濯物をかごに入れて階段を上るときに、茶色のふわふわ犬が踊り場で寝ていて、「おっと!」と驚くことも度々だ。

 

夏は4時には起床して、まだ地面が熱くなる前に犬と散歩に出る。真夏日でも早朝の空気はすがすがしい。散歩から戻ってきて犬も人間も朝ご飯を食べたら、犬は寝て、人間はパソコンの電源を入れる。カタカタのスタートだ。早起きの分を補うために日中に2回くらい短い仮眠を取る。画面の訳文を見続けられなくなったらそのまま床にバタン。時々は犬が近寄ってきて、どこか一箇所体を着けるように体を伸ばして寝る。肌にふわふわ毛を感じながら眠るのは気持ちいい。

 

冬には仕事部屋の南側のカーテンをかっと開いて、ご近所からの目隠しの布を窓の手すりに掛ける。お日様の光が、遮るものなく、そのまま入ってくる。南東の角部屋。家で一番明るい部屋。その真ん中に仕事用の机と椅子を置いている。勤め人であった頃は、壁際やパーティションのそばに置かれた机や、誰かと向かい合いに置かれた机を使っていた。その反動だろうか、フリーになったら、部屋の真ん中にどんと机を置くんだと決めていた。

 

カタカタ、カチッ(たまのクリックの音)をしていると、カーペットの上の両足がポカポカしてくる。お日様が力を増してきたようだ。部屋の隅のベッドに寝ていた犬が、「お?」と起き出して、机のそばに来て、陽だまりの中でぱたりと横になる。全身日光浴をしようと決めたようだ。

 

「こっちおいで」と声を掛けると、犬は再び「ん」と立ち上がり、足元へやってきて伏せる。両足でふわふわのボディのあちこちをマッサージする。カタカタしながらのマッサージ。両手両足を使って、まるでドラマーのようだ。嬉しそうに力を抜く犬。触れ合いの時間だ。

 

そうした平和で楽しい時間の合間に、たまには急いで行動しなければならない時がある。犬が体調を崩した時だ。動物病院に電話をしておいて、翻訳の文書を保存して、財布をバッグに入れて、犬を連れて行く。運悪く病院が混んでいてすぐに診察を受けられないこともある。時計を見つつ、ちょっといらいらすることもある。納期が迫っていたりする時は、(今夜は夕食後もずっと残業だな)と覚悟する。それでも、仕事中もすぐに犬のために動けるのはフリーランスであってこそと、独立に向けて頑張った過去の自分に感謝したりする。

 

フリーランス生活で嬉しいことの一つに食の自由もある。食べたくなければ食べなくてもいい。逆に、お腹が空いたら、いつでも冷蔵庫や棚を開けて、ちゃちゃっと食べ物を用意することもできる。仕事の流れを見て、早めに夕食をこさえてしまうということもできる。また、これはあまりやったことはないけれど、枚数の多い大型案件の翻訳を納品したときは、プシュッと缶ビールを開けて自分に「カンパーイ!」としたこともある。そんなときは、近くでだら~と寝ている犬にも、お値段がお高めのオヤツをプレゼント。「え? いいの?」と座り直して、犬もモグモグとし始める。

 

夫も犬を可愛がり、週末はドライブや旅行に連れて行ってくれる。夜のお散歩にもたまに付き合ってくれる。犬のシャンプーの日は一緒に協力して洗ってくれる。家族三人仲良しだ。笑いが絶えない。

 

でも、あの、朝のゆったりとした散歩と平日の昼間の時間は、私と犬だけの、平和で静かで満ち足りた時間。それは地味なフリーランス生活の中に優しさと幸せを詰め込んでくれた。時には納期までの時間に追われてしまい、犬が膝に手を付けて甘えてくることがあっても「ごめん、後でねぇ」とパソコンの画面を見ながら答えることもあった。そこが一番悔やまれる。

 

やがて、四半世紀以上フリーランス生活をしてきて一番助かったと思うことが、発生した。

 

私は三週間近く受注を完全にストップした。この休業期間の前後には、奇跡的と言っていいような、実に簡単な作業内容の翻訳依頼が来た。いちいち用語や用例を調べなくていい、資料を睨まなくてもいい、ただもう参考の文書に合わせて右から左へとさくさくと訳文を打ち込むような作業内容だ。時々、神様のご褒美であるかのように、こんな楽な仕事が降ってくることがある。

 

その三週間、私はただひたすらずっと犬のそばにいた。カタカタの音はもうしない。ストーブに乗せたやかんがお湯の沸いたことを教えるかすかな音。雷雨などのストレスが強いときに犬に聞かせるとなぜか少し落ち着いたエンヤの曲。たまに台所に立った私が使うハンドミキサーやスプーンや小さなお皿の音ぐらいだ。

 

三週間仕事を休むことでもう依頼が来なくなっても、それはそれでいいと思った。依頼が途絶えたならそこまでの実力ということだし、その時はそんなこと気にしていられなかった。

 

そして三週間が過ぎたある日。私は桜模様に金の刺繍が入った布に覆われた小さな物を膝に乗せ、両腕に抱きしめて泣いていた。その日の朝、パソコンの画面を見たら、ちゃんと翻訳依頼の案件が入っていた。納期が緩めで、過去にやったものに類似した案件の依頼だった。私が急に忙しく大変にならないようにと、翻訳コーディネーターさんが配慮してくださったのだろうか。長い付き合いというのはありがたいことだ。

 

ひとしきり泣いた後、その物を沢山のお花のアレンジメントを見下ろす台に置いて、私は立ち上がった。犬をゆっくりと飼い、いつも犬と寄り添う。その夢をかなえてくれたのは、フリーランスの生活だった。ありがとう。これからも、おかあちゃんは、一人カタカタを続けて頑張って稼いでいくよ。

 

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