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No.25「幸せのかたち」

幸せのかたち

Hana

外は初夏の嵐だ。

 

本州に停滞している梅雨前線とは別に、北海道は北から降りてくる強い風のせいで、外は荒れている。
横殴りの雨と、大きく揺れる木々が風の強さを教えてくれる。

 

私は、少し伸びをして、カーテンの向こうの外の様子をうかがった。

 

ーーーこんな日は、通勤も大変だろうな。

 

ついこの間までは、こんな雨の中も、傘をさしてびしょ濡れになりながら通勤していたのだ。雨の日も、風の日も、大雪の日も、吹雪の日も。バスと電車を乗り継いで。満員電車にうんざりしながら。残業で遅くなって、本数の少なくなったバスを、空腹と寒さに耐えて待ちながら。

 

それが今は、暑くも寒くもない、心地いい家の中で、ミルクティーを飲みながら、ジャズを流しつつ、ブログを書いている。

 

ーーーえらい違いだ。

 

去年の今頃は、嫌味で横暴な上司に心底腹を立てて、飲み会で愚痴ばかり言っていた。毎日遅くまで残って作った企画書を土壇場で反故にして、自分の冴えない案を通させるような上司の横暴に、私は会社の上部にまで申し立てたのだが、結局会社は何もしてくれなかった。

 

ーーーやめようかな、こんな会社。

 

そう思ってからの行動は早かった。

 

23年間勤め上げた今の会社を辞めるのは、だいぶ勇気のいることだったが、それでも辞めると決めた後は、すっきりとした気持ちだった。上司のどんな行動にも腹が立たなくなり、それどころか、踏ん切りをつけさせてくれた彼に、感謝の念まで抱くことができた。

 

ーーーそうだ、彼のおかげで私は、次なる人生の扉を開くことができたのだから。

 

そして、今こうしてブログを書いたり、電子書籍を出版したりしながら、少しずつ「おうちワーク」起業の準備を進めている。

 

しばらくは退職金を取り崩す生活。ちゃんとした収入もない。

 

心細さがないと言えば嘘になるが、自分自身と向き合う時間がたっぷりと取れるし、これまで寂しい思いをさせてきた子供達にちゃんと構ってあげられることが嬉しい。

 

お腹を空かせて帰ってくる中学二年生の次女。反抗期真っ盛りではあるが、暑い暑いと言いながら制服を脱ぎ捨て、扇風機の前でアイスを食べながら、ニコニコと今日あった出来事を話してくれる姿を見ていると、会社を辞めてよかったな、と心から思う。

 

こんな風の日も、学校まで送り届けてあげられるし、高校二年生の長女のお弁当も作ってあげられる。
毎日手作りのおかずぎっしり、とはいかないが、それでも前に比べるとだいぶマシになった気がする。作り置きではない、ちゃんとした作りたての温かいおかずを、娘たちと一緒に囲めるのも、やっぱり幸せだ。

 

散らかり放題だった家の中も、かなり片付いた。雑誌に出てくるようなミニマリストの部屋には程遠いけど、かなりモノを手放し、どこに何があるかを完全に把握できるようになった。これだけでも、すごい進歩なのである。会社員時代は、ストレスから衝動買いをし、使わなくなっても捨てることもせず、ただモノをどんどん溜め込んでいたのだから。

 

好きなことを生業とした「おうちワーク」。
私の父は、40年以上前から、それを実践していた。

 

父は、陶芸家だった。家に工房を構え、粘土で素焼きの人形を作り、日本画の絵の具で彩色をして、博多人形の現代版のような人形を作っていた。

 

私が小さい頃は、バブル景気でそういった芸術品もよく売れた。アートがもてはやされた時代でもあり、父の実入りも良かったが、やがてバブルがはじけると、一気に売り上げが激減してしまった。

 

その頃から毎晩、父と母がお金のことで喧嘩するようになり、私は耳を塞いで眠りについた。
そして2人は、離婚した。

 

好きなことで食べていこう、なんて甘すぎる。そう思っていた。
好きなことで食べていこうなんて思ったら、待っているのは不幸だ。父のように不幸になってしまう。

 

そう思い、就職氷河期の中、ようやく決まった会社にずっとしがみついてきた。
本当は、私も父のような仕事がしたかった。何かを作り出し、誰かに感動を与える。それがずっと、したかった。それに向かってずっと勉強して、大学まで行って学んだけれど、やっぱり好きなことを仕事にすることは怖かった。

 

でも、ある日気づいた。

 

父は、本当に不幸だったのだろうか。
色々あったけれど、やっぱり好きなことを追求して生きている。今も決して裕福ではないが、1人で生きていけるだけのお金は十分ある。毎晩諍いを繰り返していた頃に比べて、ずいぶん穏やかな表情になった父を見ていると、離婚が不幸だったとも言い切れない。

 

幸せの形なんて、いくらでもある。父は幸せだったのだ。不幸と決めつけていたのは、私だった。

 

好きなことで食べていこう、なんて甘すぎる。

 

そんな言葉はもう捨てた。甘すぎるかどうかを、私がこれから身をもって試していけばいい。たった一度の人生、死ぬ間際に後悔したくない。

 

自分の好きな空間で、心穏やかに、愛する人たちと一緒に好きなことを追求していく日々。それは、きっとこれからの私の人生をふくよかに、美しくしていくに違いない。

 

「ただいまー」
ガチャガチャとせわしなく鍵を開ける音が響き、ドアが開いて、次女が帰ってきた。

 

「すごい雨だったー」
半分泣きべそのような声だ。

 

「おかえりー」
ずぶ濡れの身体を拭いてあげるべく、バスタオルを持って私はいそいそと玄関へ向かった。

 

幼い頃、吹雪の中を帰ってきた私の凍えて真っ赤になった頬を、優しく包み込んでくれた父の温かい手を思い出しながら。

 

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